未来に向かって

親からの精神的・身体的虐待
中学入学当初から不安障害による
登校拒否、保健室登校
中学時代の部活のいじめ
夢をおいかけ無事に看護師になれたが
たくさんの問題があり
メンタル面も波を繰り返し現在に至る

しかし・・・
新たなところで頑張っている今日この頃

こんな私ですが
宜しくお願いします

私の過去④


2人目となる主治医と

頑張っていましたが


最初の職場には

休職・入院期間が長かった為・・・離職


ありがたいことに

1ヶ月後に再就職

6.5時間、週4日パートとして

産まれ育った地元の病院へ

就職したのです


看護師に戻れたことは嬉しかったですが

休んでいた期間が長いこと

最初の職場と科が違うこと

戸惑うことも多くありました

それでも

周りについていこうと必死でした


気づけば3年近くお世話になった職場です


いろんな仕事をこなし

周りをカバー出来るまでになりました


しかし


助けてくれた主治医が転勤

新しい主治医に交代


3人目となる主治医です


薬物治療で落ち着いたかに見えた私ですが

またもや

出勤拒否が始まり


週4が➡週3

週3が➡週2


そして・・・


また、休職になってしまいました


実家とも距離を置くようになり


休職期間中

生活に困り

夜の世界へ


そこで自分の居場所をみつけ

安心してはいけないのに

安心して数ヵ月が経ちました


そんな時

パニック発作を起こし

またしても・・・

精神科に入院


3人目の主治医が

パニック発作に不思議を抱き

夜の世界に居たことも知り

私の産まれてから当時まで過去

精神的・身体的虐待

いじめ

性的依存を知り


複雑性PTSDと診断


私が家族と距離を置きたいことから

面会謝絶


落ち着いたときに退院

夜の世界に舞い戻りました

主治医も居場所ならばと許可

私の過去③


多剤処方が続き

でも・・・

自分では薬を飲めば治ると信じていた

当時の主治医を信じていた


そんな日々を送る中


自殺願望が増し

自傷行為も増えていった


当時、付き合っていた人に

自殺願望が強いことで

地元の精神科に連絡


医療保護入院となる


そして・・・


ようやくそこで

多剤処方が発覚し


なによりもしんどい

減薬治療の始まりでした


カギつきの部屋で

床に布団のある生活が続きました


でも・・・

地元の精神科で最初に診てくださった

Drが主治医となり

一緒に頑張ってくださいました


1ヶ月を超える入院生活を終え

退院のとき

元のクリニックに戻るか

地元の精神科で治療するか

選択を与えられました


クリニックに戻れば

多剤処方へ戻ることは

わかっていたので

地元の精神科を

1ヶ月お世話になったDrを選びました

私の過去②


最初は

社会不安障害

季節性感情障害

うつ病

躁鬱病


日を増すごとに

薬が増える度に

仕事に支障が出始める度に

診断名が変わっていきました


登校拒否ならぬ出社拒否になり

最初の職場を休職して数ヶ月

薬が最大量になり

とある日・・・


多発の口内炎

数日で完治

それを忘れた頃

全身蕁麻疹を発症

何かに食べ物にあったたかと思い

数週間が経過したとき


主治医に

副作用が出るかもしれない

と言われたことを思い出し


皮膚科を受診

翌日も来院してほしいと

予約をとり帰宅

しかし・・・

翌朝、起きることすら出来ず

予約時間に遅刻しながら

皮膚科に行くと

『入院できる?』

分けもわからず

一番大きな病院へ


皮膚科で皮膚採取

眼にも症状が出ており

眼科も受診


眼科の待ち合いで

悪寒が酷く

座っていることが困難


眼科の受診が終わり

皮膚科に戻り

検温すると39℃超え


車イスにて即入院


即、服薬停止

多量のステロイド薬の投与開始


数週間後出た診断名は

重症薬疹

スティーブンジョンソン症候群


副作用を発症しながら

退院後も変わらず

多剤処方は続いた


そんな日々の中・・・